メディアを通すと地方都市の差異が感じられない

2012.01.07

いったいなぜだがよくわからないのだけれど、テレビなどのメディアを通して紹介される地方都市のありようは、少しもローカル的に見えないことが多々ある。番組ではそれなりに一生懸命にその土地の固有の魅力を語ろうとして、旨いものや観光名所や郷土色豊かな事物を取り上げようとするのだが、皮肉なことになかなかその地方らしさが伝わってこない場合が多い。どうもそれは、中身の問題ではなく、スタイルの問題ではないかという気がする。

[参考サイト]
メルパルク長野 - じゃらんnet
http://www.jalan.net/yad326903/

豊田市駅のホテル - じゃらんnet
http://www.jalan.net/hotel/230000/STA_031094/

寸又峡温泉の温泉・露天風呂のある宿・ホテル - じゃらん温泉ガイド
http://www.jalan.net/onsen/OSN_50300.html

つまりテレビ番組の多くは、基本的には、中央集権的な目線で物事を見る語りロのスタイルが基本だから、物事をいかに語るか、という視点からは少しもローカル的ではない。その語り口にいつのまにか、地方に住んでいる人も慣れてしまい、気がつかないうちにテビメディアと同じ目線で映し出された映像を見るようになる。何を見ているかという点では、確かにあそこの町のユニークな温泉、ということになるのだろうが、いかに見ているか、という面では、いつも同じである。テレビというメディアには常に自己を非ローカル化させて見せるという傾向がある。だからいつのまにか、テレビを見ている人もその目線に同化し、ローカルなものを見ているつもりで、限りなく中央集権的なものの見方になってゆく。無意識的に共通語の思考になってゆく。そして、いつのまにか、地方ごと、いや町や村ごとで異なるものの考え方や感じ方という面が見えなくなってくる。名物や人物や面白い温泉というものが記憶に残っても、より本質的な差異や個性が存在することがわからなくなってくる。いや、そうじゃないよ、あそこはこことまったく違うように考えるんだから、と説明すると、驚いたような顔をされたりする。それは、均質化されたメディアの視点に自己の視点を吸収されてしまって、差異が見えなくなっているからなのだが、往々にして人はそのことに気づいていない。